お仕事インタビューVol.4 【脚本家 まなべゆきこさん】
【脚本家 まなべゆきこさん】

約7年間のOL生活を経て、シナリオライターに。04年には『A/PART』が函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞長編編集部門で佳作を受賞する。以後、映画『ニライカナイからの手紙』、『親指さがし』、『雨の翼』、CGアニメ『グリンの冒険』、NHK大河ドラマ『義経』、TVドラマ『ワイルドライフ-国境なき獣医師団R,E,D−』などを手掛けている。 2009年公開作品・映画「おと・な・り」では、脚本に加え、映画までのプレストーリーを描いた小説「おと・な・り〜萌芽のころ〜」も執筆。


○脚本家のお仕事について教えてください。
脚本家と一口に言っても、いろいろな脚本家がいます。ドラマや映画・演劇を始め、最近では漫画やゲームの脚本家と言う方もいらっしゃいます。私は主に映画の脚本を書いているので、今日は映画の脚本の仕事について、お話させていただこうと思います。
 映画の脚本では、脚本家がお話から考える、オリジナルストーリーのものと原作ものがあり、それぞれで少しだけ仕事の流れが違います。
 まずは、オリジナルストーリーの映画が出来上がるまでの流れですが、簡単に言うと
・脚本のアイディアを考える
・あらすじを書く
・ 初稿を書く(または企画書を書く)
・ プロデューサー(役者さんやお金を集める人)や監督に初稿(又は企画書)を見せる
・プロデューサーや監督と相談しながら、企画稿(又は初稿・役者さんやお金を集めるための脚本)を書く。
・準備稿
・決定稿
・クランクイン
・撮影
・公開
という風になります。
初稿から決定稿に至るまでは、場合によりますが、大抵10〜20回は書き直す事になります。原作ものの場合は、お金を集める役割のプロデューサーから依頼が来るので、オリジナルストーリーよりは成立する可能性も高いのです。その場合は、いきなり、あらすじ&企画稿で、その後の流れは大体一緒です。
脚本を書く量ですが、あらすじはA4で2P〜10P。脚本は原稿用紙100枚〜200枚位。
クランクインしてしまうと、脚本家は現場に行くような機会は1〜2回とほとんどなく、芸能人にしょっちゅう会えるのでは??と華々しく思われがちなのですが、実はほとんど自宅作業の多い、超地味な仕事です。
普段はどういう生活をしているかと言いますと、自由に、好きに、生活しています。
 脚本を書くのが仕事なので、それに付随した必要なことはもちろんやっていますが、基本的には、好きな時間に起きて、好きな事をやって、時々映画を観て勉強して、資料の本を読んだり……。全部が自分の自由に使えて、毎日やることも変わるので、毎日決まった事をしないと落ち着かないという人は向いてないかもしれません。全部自分で決めるので楽ですが、全てが自由な分、来年の仕事が決まってないなどの不安感もあったりします。
 人気作家は別ですが、多くの脚本家はそういった不安と闘いながら、自分を律しつつ、毎日自由な生活を送っていると思います。
収入はピンキリです。映画一本書いて家が建つ人もいれば、何本書いてもそれだけでは食べられない人もいます。私も最近まで時々アルバイトをしてたぐらいですから(笑)
女性と男性の脚本家はどちらが多いかと言うと、目指している人は女性が圧倒的ですが、実際に脚本家は同じ位の人数だと思います。

○脚本家になろうと思ったきっかけを教えてください。
 大学時代、映画研究会に入ったのをきっかけに映画好きになり、映画製作をしてましたが、卒業後は、映画の世界に入ろう等とは想像もせず、特に何の疑問も抱かず普通の会社に入り、いわゆるOLになりました。でも学生時代の繋がりからか、周りには映画関係の人たちが多く、次第に自分もやはり映画を撮りたい!映画に関わっていたい!映画を観る側ではなく作る側になりたい!と強く思うようになりました。
 そこでまず、試しに働きながら自分で監督し、映画を撮ったりもしてみました。でも、撮ってみたら自分に監督の才能はないなぁと気付いて……。
 じゃあ好きな映画の世界に生きるには何をすればいいのかとそれからまた、思い悩んだのですが、そんな頃、いつも出かける時に、脚本の為のアイディアブックを持ち歩いていたのを、友人に知られ、不思議がられたんです。それが私にとっては当たり前の事だったのですが、その時初めて、そうか、不思議なんだ、自分は普通じゃないんだ、と自覚しました。同時に、「脚本だったら私にもできるのかも?」と思うようになりました。

○どんな子どもでしたか?
 中学時代ですよね。全てに絶望した子でした。自分は何もできないと思い込み、夢も希望もなかったです。

○13歳の頃は何に夢中でしたか?
 特に何もなかったです。周りの子達が自分の夢を語る中で、私は「縁側でお茶を飲みながら美味しい和菓子が食べたい」と言っていた位、何も将来について、思いつかなかっし、夢中と言えるものもなかった。

○その頃にやっていた事で、今の自分の仕事に役だっていると思えることはありますか?
 全部です。全部役に立っています。
 例えば、自分は夢もない、将来になりたいものもない、というのは、中学時代からの私のコンプレックスだったんですが、でもそのコンプレックスが、自分の夢について強く考えるようになるきっかけになったし、小説「おと・な・り〜萌芽のころ〜」のベースにもなってたりします。

○今の仕事についていなかったら何をしていたと思いますか?または何になりたいですか?
 OLを続けていたでしょうね。結構楽しい会社だったので。
 他になりたいものは、思いつかないなぁ〜

○どうやったら脚本家になれますか?
皆さんも明日からなれます!宣言制なので(笑)
 ただ、仕事としては、人に認められて、お金をもらえて初めて仕事と言えると思うので、そう簡単にはいきません。
 ではどうしたら脚本家になれるのかと言うと、まずはとにかく、脚本を書いて、人に見せる事です。どこかに応募するのもそうですが、友達や知り合いに見せるなど、とにかく書いて、見せる。煎じ詰めれば、それが全てです。
 とはいえ、どうやって書いたらいいかわからない?と言うのもあると思いますので、技術を身につける必要はあるかもしれません。脚本には一応フォーマットがあり、ある程度決まりがあるので、それは学校に行ったり、自分で学んだり、映画を観たり、たくさんのシナリオに目を通すなど方法はいろいろですが、それを学ぶというのも最初のステップとしては必要だと思います。
 脚本家の仕事として、何かいいアイディアを思いつくと言うのは大前提ですが、脚本家の仕事は、とにかく「直す」という作業がほとんどなので、とにかく直せる技術がないと仕事としては成立しません。その為には基本が必要な場合が多くありますから、学校も有効な手段だと思います。
 次に必要なのは、コネですね。実は私は、これが仕事には一番大切だと堂々と言えます。
 「コネ」、と言うと何か悪いものに聞こえますが、要は「人との繋がり」ですね。
 皆さんは、まだ中学生だから、テストの点数で実力のあるものとそうでないものと、はっきり分けられてしまう世界にいるけれど、大人になればなるほどそういう垣根はなくなって行きます。テストもないし。善し悪しの基準も段々曖昧になっていく。
 結局最後に残るのは友達だったり、人との繋がりだったり。芸術だから実力の世界じゃないかって思われがちですが、それももちろん大前提としてありますが、よっぽどの天才じゃない限り、ほとんどみんな気持ち良く仕事がしたい訳です、いろいろな人と気持ちよく話せて、コミュニケーションが取れて、自分の意思が通じる人と仕事をしたいと思うのが普通なので、やっぱりそういう人が変な話し、引っ張られるたりする事が多いのです。
 だから、何よりも大切なのは、知り合った時に、ちゃんと話ができる人間になっておく、と言うことだと思います。出会いはいつあるかわかりませんから、常に自分を磨いておく必要もあると思います。古い映画を沢山見たり、本を読んだり、勉強をすることも大切だし、とにかくひとり人間として、人間関係をちゃんとする。お礼を怠ったり、不義理をしない、と言う、基本的なことですが、そういう小さなことが大切になってくると思います。 
 「人とどうやって繋がって行くか」。それによって仕事の広がりも変わってくるのです。

○どんな人が脚本家に向いていると思いますか?
 マゾイスティックな人。と言うとちょっと誤解を受けそうですが、ある程度打たれ強い人でないと、続かないでしょうね。
 例えば時には自分の書いた物を全部書き直せと言われることもあります、それは自分を全否定されたようなものじゃないですか。そう言われた時に折れてしまうような人は向いてないですね。攻撃に強い、しなやかな心の持ち主じゃないと、続かないと思います。

○脚本家になった経緯を教えてください。
 脚本を書いて人に見せて、という事を繰り返して行きました。
 そのうちにコネというか人の繋がりがどんどん広がってきて、色々仕事を頼まれるようになりました。

○脚本を書いていると自分のイメージが出来上がっていると思いますが、実際に映画になって観た時にどう思いますか?
 私は基本的にはあまり自分のイメージにこだわらないというか、書いたら忘れるタイプというか(笑)あまりこだわらないタイプなんですが、「おと・な・り」に関して言えば、幸せな事だと思いますが、ほぼイメージ通りでしたね。
 脚本家によっては、自分のイメージとの違いに悩み、挫折する人もいて、思った通りに出来上がらなかったために、自分の言いたかったのはそんな事じゃない!と、監督になったり、小説家になったりする人もいるみたいですが、私は自分の想像力って限界があると思うので、スタッフや役者さんや監督さんの人に手によって、どんどんいろいろな物が加わって全く別な新しいものに仕上がって行くのが楽しいのです。
 それを楽しめるのが、私の脚本家としての数少ない資質のひとつなのかな、と思ったりしています。


○一番大変なことって何ですか?
 攻撃される事ですね。自分で全力で書きあげた物を否定されるのが辛いですね。あとはアイディアが出ない事です。……でもやっぱり、脚本を書いた後の打ち合わせが一番辛いです。褒められることは、ほんと、少ないので(笑)

○脚本を書いてて行き詰った時にはどうしていますか?
 寝ます(笑)というか、全く違う事をやります。アイディアは一生懸命考えている時ではなくて、意外とお風呂に入っている時なんかに浮かんだりします。

○一番好きな映画はなんですか?
 いろいろありますが、「ふたりのベロニカ」、「エターナルサンシャイン」は好きです。
 一番好きな、と言われると困りますが、やっぱり「ふたりのベロニカ」かなぁ。

○未来の夢はありますか?
 やはり自分で考えたオリジナルストーリーの映画をもっと作って行きたいですね。
 現状、なかなか難しいですが・・・。今、3本書いて、企画を進めています。
 ネタは・・・10個以上はあるかな。

○今13歳の人たちにメッセージがありましたら教えてください。
 私は中学生の頃、「縁側でお茶を飲むのが夢」なんて言ってた位、自分の未来に絶望した子供でした。でも大人になってだんだんと、自分のできるものや、できないものが見えて来て、夢も持てました。だから、まだ何も見つからなくても焦る必要は全然ないと思います。今はまだ、何にでもなれるのです。何かができない、とか思わずに、とにかく色んなところに自分のアンテナを張っていると、そのうちに好きなものがわかってくると思います。いまはただ、好奇心を持って、いろいろな事をやってみてください。
夢はかなう、なんていうと、嘘っぽいと思われるかもしれないけど、一生懸命やれば、夢はかなうと、今の私は思います。

インタビューby 中山佳香
カテゴリ:お仕事インタビュー | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0)
お仕事インタビューVol.3 【大学教授 研究者 岡部正隆さん】
【大学教授 研究者 岡部正隆さん】

岡部正隆さん小学生の頃から生き物好きで、中学・高校では生物部で活動していました。東京慈恵会医科大学を卒業後は患者さんを診るのではなく研究者の道を歩みました。動物によってからだの形が皆違うのに、同じ動物ではなぜ同じ形に育つことができるのか、、、その謎を解く為に遺伝子の研究を続けてきました。現在は医学部の学生に「解剖学」つまり人間のからだの構造を教えながら、4億年の時間をかけて人間が魚のような先祖からどのように進化してきたかを研究しています。

○お仕事内容を教えてください。
大学教授は教育と研究をしなければなりませんが、どちらかといえば教育(講義)がメインです。大学の先生でありつつ自分の研究もしないといけません。医学科と看護学科の授業を持ったり、また医療系の専門学校で教えたりもします。また、大学院生に研究論文の指導等も行います。私の場合は研究よりも教育に割く時間の方が長いですね。

○生物に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?
小学校2年の時に魚釣りで魚に興味を持ったのがきっかけで、それから魚の飼育もはじめました。

○どんな子どもでしたか?
小学校から高校2年にかけて学校の勉強はしない子でした。釣りをしまくり、コンピュータを操り、昆虫採集なんかもやっていました。

○13歳の頃は何に夢中でしたか?
当時はコンピューターだったと思います。父親のパソコンをいじって夜更かしする日も結構ありました。もちろん生き物も好きでしたよ。

○その頃にやっていた事で、今の自分の仕事に役だっていると思えることはありますか?
高校の得意科目は生物で、ダントツでした。(駿台の全国模試で2位を取った事も)。ただ、国語はてんでダメ。でもそれがかえって良かったと思います。例えば「それ」とは何かという問いがあった時に、人と違う視点で「それ」を見ている。「その時彼は何を考えたか?」という問いの答えはたいてい本文中に含まれているけれど、勝手に想像をしてしまう。こういうクセは今もアイディアの構築に役だっていると思います。論文を書くには作文能力も必要ですけどね。

○その頃の将来の夢は何でしたか?
具体的な職業として思いつくのは学者くらいだったように思います。

○その夢のために努力していた事はありますか?
日々趣味に時間を費やしていましたが、これを努力といえるかどうか。

○大学にいる時に臨床に行こうと思った事は?
僕は大学の3年までは臨床に行こうと思ってました。放射線科医になろうかと。でも、6年生の夏休み図書館で、小児科の先生に声をかけてもらい、その先生の紹介で東大の医科研の研究室を見学しにいくことになりました。そこの研究室でみたすばらしい研究環境に刺激されて基礎医学の研究者になることを決めました。医学部を卒業してから基礎医学の研究者の道に進むのは、現在では相当に少なくなりました。1人/500〜600人という割合かもしれません。僕も患者さんを診るのは面白いと思ったのだけど、医者というのはいわばクイズを解く事が好きな人が向いている。研究者はクイズの問題を考えて、それを自分で解く人だと思うのだけど、僕はそちらの方だなと思ったのです。

○どんな人がその職業に向いていると思いますか?
普通の人は向いていないと思います。研究者は人と同じじゃダメ、イヤと思う人が向いている。独自性を追求する、自己主張の強いタイプ。最終的に自分の研究室を持つにはボスの資質も必要かもしれません。

○その職業についた経緯を教えてください。
生物を勉強しようと思っていましたが、高3の12月に突如医学部に進もうと決意しました。大学の6年間では、一番楽しい授業が解剖だった。卒業後9年間はショウジョバエをつかって発生の研究をしていたのですが、その後2年間ロンドンで脊椎動物を使った発生の研究をすることになりました。帰国後、母校の慈恵医大の研究所に自分の研究室をもちやってきましたが、2年前にいまの解剖学講座に移り教育と研究の両方をやっています。

○その職業につくためにはどうしたら良いと思いますか?
医学部卒業でなくても研究者として教育者として優れていればおなじような立場になることはできると思います。研究者として教育者として経験を積むのはいくつか方法がありますが、実績をつくっていくことが重要ですね。

○今はどんな事に興味がありますか?将来の夢はなんですか?
これから僕は教授として、まだ四半世紀、25年は研究する事ができます。その間魚がどうして人間になったか、という事は研究し続けて行きたいです。

○この仕事の喜びって何ですか?
新しい事がわかった時の喜び。舞台の上に立ってどよめきを受ける喜び。新しい事の発見が評価を受けた時は嬉しいですね。

○今13歳の人たちにメッセージがありましたら教えてください。
いい学校に行っていい職業に就く、そういう社会での生き方ってあります。でも自分のやりたい事はなんなんだろう、自分の個性を生かした行き方ってどんなもんだろう、そんなことを考えながら自分らしい生きる目標を設定して欲しいと思います。13歳は何かに夢中になれる時代。どうかその何かに思いっきり時間を割いてください。

インタビューby 中山佳香
カテゴリ:お仕事インタビュー | 15:20 | comments(0) | trackbacks(0)
お仕事インタビューVol.2 【ミュージカル俳優・タップダンサー・振り付け師】
【タップダンサー 畠山眞葵さん】

タップダンサー 畠山眞葵さん東宝ミュージカル「42ND STREET」、音楽座ミュージカル、小堺クンのおすましでSHOWなどの様々な舞台出演ほか、漫才コンビ「おぼんこぼん」、アイドルグループなどの振り付けも行う。
自らがプロデュースを行っているTAP Do!ではお笑いと融合した新しいステージに挑戦。海外でも高い評価を受けている



○お仕事内容を教えてください
肩書きは、ミュージカル俳優、タップダンサー、振付師でもあります。
その時に応じて使い分けるという感じでしょうか。
ミュージカル俳優やダンサーとして舞台に立ったり、タップダンスの振り付けを行ったり、お教室でダンスを教えたり、また自分でプロデュースして舞台を作ったり。仕事内容は多岐にわたっています。

○タップダンスを始めたのはいつごろですか?
小さな頃はバレエを少し習っていて、中学生でまたクラシックバレエを始めましたが、タップダンスを本格的に始めたのは高校3年生からです。

○いろいろなダンスがあると思いますが、なぜタップダンスだったのですか?
中学2年生の時、劇団四季の「キャッツ」を観に行ったのですが、その中のタップダンスを観て、それ以来タップをやりたい!と思っていました。
千葉県の高校に通っていましたが、放課後自由ヶ丘のタップダンス教室に通うようになり、気づいたら週1回のレッスンが週3回になっていました。

○どんな子どもでしたか?
小さな頃からボスでした(笑)、体も大きかったし。正義感の強い子でしたね。

○13歳の頃は何に夢中でしたか?
まさに13歳、中2の時に「キャッツ」に出会い、ミュージカルに夢中になりました。
それ以前に、小学校6年生の時に映画「ET」を見て、映画館で人目もはばからず、しゃくりあげてしまう程に泣いて泣いて感動して。そういう感動に何度か出会う事が転機になって、自分も人に感動を与える事をしていきたい、と思えるようになっていきました。

○その頃にやっていた事で、今の自分の仕事に役だっていると思えることはありますか?
ダンスなど、その頃の習い事は役だっていますね、バスケ部に入っていてそちらも忙しかったですが。歌も歌いたかったので、自力で歌を歌ったりしていました。

○その頃の将来の夢は何でしたか?
舞台に立つことでしたね。

○今の仕事についていなかったら何をしていたと思いますか?または何になりたいですか?
子どもがたくさんいる家庭に憧れていたので、子だくさんのお母さんになっていたかもしれません??

○どんな人がタップダンサー(ダンサー)に向いていると思いますか?
(どういう感性or能力がタップダンサーには必要だと思いますか?)
「続けられる才能」を持った人、不器用でも、練習することが苦じゃないと感じられる人。
もくもくと続けられる事が大事だと思います。それって好きな事だから続けられるのだと思います。楽しいことなら時間も忘れてずっとやっていられますものね!!

○その職業についた経緯を教えてください。
まずは劇団に入り、そこで舞台を踏み、舞台のノウハウを学びました。またディズニーランドのショーに出たり、いろいろなショーに参加する事で人のつながりが出来て、東宝ミュージカル「42nd ストリート」に出演することで、一気に広がりました。(人とのつながり?)

○その職業につくためにはどうしたら良いと思いますか?
ミュージカルをやりたいのであれば必ずバレエはやって下さい!!バレエは全てのダンスの基本で姿勢や踊りがとってもきれいになります。それにジャズや他のダンス、もちろん歌も勉強した方がよいでしょう。
それから、早く自分の「個性」を見つける事も大切だと思います。それは舞台の仕事に限らないかもしれません。皆の中で際立って目立たなくっても、「この子って面白い!」って子、クラスにいませんか?自分にしか出せない味、キラッと光る、自分の「個性」を探す事もとても重要な事だと思います。
後は、しっかりとしたイメージを持つことも大切ですね。自分はこうなりたい、と強く望んでイメージをすると道が拓けて、本当に実現していくものだと、最近特に感じます。

○振り付けはどんな風に思いつくのですか?
音楽を繰り返し聞いて、そのリズムにステップをあてはめて行きます。タップダンスの振り付けでもジャズダンス等の要素もすごく必要になります。

○今はどんな事に興味がありますか?
いろいろありますが…今、小学生から大人の方々まで35人を振り付けたりしているのですが、皆が沢山練習して、振り付けた作品がだんだん形になっていく様子を見ているのはやはり楽しいです。

○未来の夢はありますか?
夢は日本の国内公演に行くように、海外に行ってパフォーマンスをすることです。エジンバラ公演の成功で、ステージを世界に広げて行く事も夢ではない、と思えました。
また、TAP DO!の活動は今年7年目なのですが、10年目には天井の高い防音のスタジオを持って、いずれはTAP DO!ジュニア?のような養成所を作るのもいいですね!

○やっていてよかったなと思う事はありますか?
ステージに立ったときに、観て下さったお客様の「笑顔」や「笑い声」に出会えた時は、心から「やっていて良かったな〜」と思います。お客様の笑顔と拍手は、私の栄養源ですね!!!

○やっていて大変だなと思う事はありますか?
私も20代の頃は、うまく行かないと「やめて結婚しちゃえ!」、みたいな投げやりな感覚になった時もありました(笑)。そんな気持ちで花嫁さんになっていたら、花婿さんは不幸だったでしょうね!!とほほ。
また一生懸命やっても自分の演技が評価されず泣いた事もありました。
でもそういう辛い時に、私を支えて引き上げてくれる素晴らしい先輩や仲間達にめぐり会えて来た気がします。
以前、大変な現場に遭遇し「こんな仕事やらなきゃよかった」とクヨクヨしていた時に、ある先輩から「その現場で1個でも学んだ事があったらそれでいいんだよ、一個でいいんだよ」という言葉をもらい、目の覚める思いがしました。無駄なことなんか1つもないんですよね。そうやって、欲張らず1つ1つやっていけばいいじゃないか。と思えるようになってからブレずに楽しみながらここまで来られた気がします。一個でいいんです!!
どんな人にもあるひょんな事がきっかけで、突然、わだかまりが吹っ飛んで、別人のように変化できる可能性があります(←このことを「化ける!」と言ったりします!!)。
そこを信じて、腐らずいつもポジティブに考える事が大事だと思います。

○今13歳の人たちにメッセージがありましたら教えてください。
今でも思っていることですが、「感動すること」ってとっても大事です。
映画や舞台だけじゃなく、友だちの言葉や出来事など、いろいろな事に「感動する心」を持って、大小問わず「感動」との出会いを大切にして下さい。そして感動に出会ったらその想いを大切に育てて下さい。その「感動」の中に自分の人生をかけてやっていきたいと思えるお仕事に出会えるきっかけが潜んでいるんじゃあないでしょうか!!
ビバ!中学生諸君!!!

インタビューby 中山佳香
カテゴリ:お仕事インタビュー | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0)
お仕事インタビューVol.1 【童話作家】
【童話作家 九十九耕一さん】

日本ジャーナリスト専門学校文芸創作専攻科卒業後、フリーライターとして各媒体で執筆。 1994年、「トゲなしサボテン」にて第11回アンデルセンのメルヘン大賞で入賞。
翌年の「第12回アンデルセンのメルヘン大賞」に『夜風の ウィンディア』で大賞を受賞。その後も、ポータルサイトSo-netの「StoryGate」など、様々な媒体で童話を執筆している。
また、2000年の「第31回JOMO童話賞」にても優秀賞を受賞するなど、各方面から高い評価を得ている。


○童話作家ってどういうお仕事ですか?
 雑誌やWEBなど、いろいろなメディアに寄稿したりします。
 オリジナルのお話を書くことはもちろんですが、昔話などを書き直したりする仕事もあるんですよ。そういう仕事は「リライト」と言います。そのままだと長いお話を短くしたり、短いお話をふくらまして長くしたりする仕事ですね。もとになるお話があるから楽な仕事と思う人もいるようですけど、苦労はオリジナルのお話を書くときと、ほとんどいっしょですね。
 絵本なども、手がけることがあります。私は絵は描けませんから、お話のほうだけですけど。書き上がったお話にイラストレーターの方が絵をつけることもありますし、逆に、絵が先にできていて、それにお話をつける場合もあります。
 他には「塾のテストの文章題に使うお話を考えてほしい」なんていう依頼もありました。

○童話を書き始めたのはいつごろですか?
 初めて童話らしきものを書いたのは、高校生のころだったと思います。そのころ「詩とメルヘン」という雑誌があって、原稿を公募していたので、送ったことがありました。採用されませんでしたけどね(笑)。
 今思えば、されなくて当たり前でした。そのころのぼくの童話に対するイメージは「クマさんとか、タヌキさんが出てくる、子ども向けのお話」という感じでした。実際にたくさんの童話を読めばわかることですが、そんなお話ばかりが童話じゃない。もっともっと広い世界なんです。それをまったくわかってなくて、自分勝手に狭い世界だと決めつけて書いていたんですね。そんなことでは、いい作品は書けなくて当然だと思います。

○いろいろな表現方法があると思いますが、なぜ童話だったのですか?
 最初は小説家になりたかった。でも、ちょっとした好奇心から、童話作家・立原えりかさんの通信講座を受けてみたんです。課題をこなしていくうちに、楽しんで書いている自分に気がついた。童話という表現方法が、すごく自分に合っていたんですね。
 通信講座の受講が終了して「これで童話からは卒業かな」なんて思いましたが、その後、立原さんから「私のカルチャースクールに来てみませんか?」と声をかけていただきました。これも受講してみると、ますます童話がおもしろくなった。
 童話賞に応募して賞をいただいたことも、きっかけのひとつだと思います。

○童話と普通の小説との違いを教えてください。
 明確な線引きはないと思います。ただ、ぼくは「子ども向けに書くのが童話」なのではなくて「子どもも楽しめるお話」が童話だと思っています。
 大人は、童話に教訓めいた要素を求めがちです。「子どもの教育のために」という思いが、教訓を求めてしまうのでしょう。
 だけど、子どもも読む、あるいは聞くお話に一番大事なのって、楽しむことじゃないのかな? 教訓を含んだお話はあってもいいけど、そればかりが童話じゃない。
 あんまり難しい言葉を使ったりとか、設定を複雑にしてしまうと、子どもが楽しみにくい。ぼくがお話を書くときに気をつけるのは、そのことだけです。

○どんな子どもでしたか?
 変わった子だったかな?(笑)
 例えば、小学4年生のときは、自分の畑を持ってました。友だちの親が畑借りているのを知り、うらやましく思ったんですよ。「うちも畑、借りようよー」って親にねだるのが、まあ普通の流れだと思います。でも、ぼくは、畑を貸している大家さんのところに、直接交渉に行ったんですよね。大家さんも驚いたと思いますよ(笑)。
 大家さんが提示した額は、年2500円。タダみたいなもんです。ぼくはお年玉のこととか考えて「2000円なら払える」って言いました(笑)。値切るつもりじゃなくて、真剣に考えて、自分の限界を伝えたつもり。そうしたら、大家さん、まけてくれたんですよ。ジャガイモとか、トウモロコシとか、キュウリとか、いろいろな野菜を作りました。

 ひとり遊びが好きな子どもでもありましたね。
 お気に入りの遊びは「ブラック・ジャックごっこ」。手塚治虫の『ブラック・ジャック』が好きでしたから。
 まず、粘土で人体を作るんです。心臓とか胃袋とかの内蔵も。で、心臓の裏とかに、プラスチックなどの異物を隠す。粘土でフタをして、お腹の形に整えたら、準備完了。手術の開始。「メス!」とか言いながらカッターで切って、ピンセットでプラスチックを取り出す。
 みんなやってると思ったら、誰もやってなかった(笑)。

 ひとり遊びは好きだったけど、本を読む子ではなかった。本を読むようになったのは中学生になってから。
 中学生になって通い始めた塾の先生が「1日1冊、本を読みなさい」と言ったんですね。まともに本を読んだことのないぼくは、冗談かと思った。もちろん冗談ではありませんでした。「ちゃんと読まなくてもいい。ページをめくるだけでもいい」って言うんです。半信半疑で文庫本を読んでみたら、意外と1日で1冊読めた。それですっかり自信がついちゃって、本を読むようになりました。
 ユニークな塾でね、魚のさばき方もここで覚えました(笑)

○中学生の頃は何に夢中でしたか?
 作家になろうと思っていたので小説を読んだり。主にSF小説でしたけど。『赤毛のアン』を読んで夢中になったのも、このころですね。
 それから、剣道を一所懸命やってましたね。

○その頃にやっていた事で、今の自分の仕事に役だっていると思えることはありますか?
 いたずらですね。ぼくのお話の基盤は、いたずら心だと思っていますので。
 いたずらって、漢字では「悪戯」って書くでしょ? だけど、レベルの高いいたずらは「楽戯」と書きたい。
 落とし穴掘ったりとかは、レベルの低いいたずら。仕掛けたほうは楽しいかもしれないけど、仕掛けられたほうは楽しくない。怒る人もいるだろうし、怪我だってするかもしれない。
 レベルの高いいたずらっていうのは、仕掛けた人、仕掛けられたひと、そしてそれを見ていた人までも楽しい気分にするもの。想像力を駆使しないと、レベルの高いいたずらはできない。
 お話を書くことと、とてもよく似ているんです。

○どんないたずらをしましたか?
 最初は低レベルのいたずらでしたよ、やっぱり。イスに画びょうを置いたりとか、昼寝している人の足と机をヒモで結んだりとか。給食のときに、牛乳飲んでる友だちを笑わすのは日課でしたし。
 弟に餃子を作ってあげたこともありました。ただし、餃子の中身はご飯。そうとは知らず、弟はいそいそとご飯をよそって、餃子をパクリ。
 人って、予想していた味とまったく違う味が口に広がると、固まるんですね。「?」という表情が出るのは、2秒くらい後(笑)。
 まあ、だんだんいたずらのレベルも上がってきて、借りた本に四つ葉のクローバーはさんで返したこともありました。そのとき好きだった女の子にね。あのときの笑顔は、今も心に残ってます。
――――ここでみんなの学校であったいたずらの話でしばし盛り上がりました―――――

○その頃の将来の夢は何でしたか?
 作家になること。小説を書きたいと思ってました。

○その夢のために努力していた事はありますか?
 やっぱり、お話を書きました。短いお話を書いて、友だちに読んでもらったりしてましたね。
 それから、高校生のときに、好きな作家の作品を全文書き取りしました。
 全文書き取りをすると、読んでいるだけでは気づかなかったことに気づく。例えば、「、」を打つ場所に大切な意味を感じたりとか、1行空けてあるところに自分なりの理由を発見したりとか。
 あとは、できるだけたくさん本を読むこと。ぼくは中学生になってから読書するようになったから、「作家になるには、読書量が足らないぞ」と思っていた。部活もやっていたけれど、1日1冊は読んでいた。カバンにはいつも、本が2、3冊は入っていた。
 授業中にも読んでいたのは、ちょっといけなかったと、今では反省してます(笑)。
 
○今の仕事についていなかったら何をしていたと思いますか? または何になりたいですか?
 実家が製麺工場なんですよ。ラーメンの麺を作ってるんです。しょっちゅう手伝っていたけれど、嫌いな仕事じゃなかった。だから、お話を書くということに出逢ってなければ、父親の跡を継いでいたでしょうね。実際、小学校の卒業文集には「将来の夢・跡継ぎ」って書いてますし。
 幼稚園のころは、博士になりたかった。当時のぼくにとって、博士って、発明家のことでした。ロボット造ったりしたかった。
 そうそう、小学校低学年のときは、マンガ家にもなりたかった。『マンガ入門』っていう本を買ってもらって、夢中で読んだな。原稿用紙の大きさがわからなくて、その本の作者に電話で問い合わせたこともありました。親切に教えてくれましたよ。そのときは気づかなかったけど、教えてくれた方、赤塚不二夫さんでした。

○どんな人が童話作家に向いていると思いますか?
 いたずら心のある人。つまりは、想像力のある人。
 いたずら心って、どんな人にもあると思う。それをさび付かせないでいられる人は、童話作家に向いていると思います。

○童話作家になるためには、どうしたら良いと思いますか?
 自分の考えたお話、自分の頭の中に広がる世界を、どうしたら他の人に伝えられるかを真剣に考えてください。
 自分だけが楽しみたいのなら、想像するだけでいい。でも、自分以外の人にも楽しんでもらうのが童話作家の基本。どう書いたら伝わるかを、真剣に考える必要があります。
 専門学校でこんなことを教わりました。

 自分の親友の恋人が、不幸にも亡くなった。そのときに親友に「この度はご愁傷様で……」と言って、自分の気持ちが伝わるはずがない。どんな言葉なら、親友に自分の気持ちを伝えられ、力になってあげられるだろう? そのことを真剣に考える時、人は作家になる。

○お話はどんな時に浮かびますか?
 書く行為と直接関係ないところで浮かぶことが多いですね。散歩してるときとか、友だちとおしゃべりしているときとか。
 何気ないところに、お話の種があるんです。
 ぼくの短編集『トゲなしサボテン』から例を挙げると、『猫は伝える』というお話は、ラジオを聞いていて思いついたお話です。可愛がっているノラ猫がある日首輪をつけてきたので、そこに手紙をつけてみたら、返事が来たという話を、パーソナリティーがしていたのがヒントになっています。
『片側の老人』は、実体験。引っ越しをした際、近所だったから荷物を載せた台車押して30往復くらいしたんです。その途中、ベンチに座ってるおじいさんに気づいたんです。このおじいさん、行きは座ってるのに、帰りは座ってない。不思議でした。もしかしたら、本当にこの世の人じゃなかったのかも! そんな体験が元になってます。
『ラーメン食べたい』は、ぼくの彼女が持っているぬいぐるみを主人公にして書きました。

○今はどんな事に興味がありますか?
 いろいろですね(笑)。いろんな方面にアンテナを張っておいたほうが、お話の種をみつけやすいですよ。
 料理を作ったりも興味があるし、鉱物にも興味がある。生き物にも興味をそそられるし、本や映画にも。

○未来の夢はありますか?
 新しいお話も書きたい。
 カフェをやりたいと思っています。本が読めて、豆本も置いてあるカフェ。
 
○そのために努力している事はありますか?
 今は創作活動もしながら、パン屋さんで修業しています。パン作りは、もしカフェをやることになったら、きっと役立つと思います。

○童話作家になってよかったなと思えることは?。
 ぼくのお話を読んで、泣いたり笑ったりしてくれる人がいたとき。それは、ぼくのお話が、その人の心に届いた証だから。

○逆に大変だなと思うこと
 ほとんどの作家がそうだと思いますけど、締め切りがあること。
 原稿って、間に合わせればいいだけのものじゃない。作者が、ある程度納得できる状態に仕上げなくちゃならない。そして、編集者にも認めてもらえる状態に仕上げなくちゃならない。読む人に失礼のない状態に仕上げなくちゃならない。
 あと、いい仕事ばかりじゃないってこともあります。勝手に原稿いじられたりしたこともありました。


○今中学生の人たちにメッセージがありましたら教えてください。
 レベルの高いいたずらをしましょう!
 いたずらは想像力です。想像力は、思いやりの元でもあります。つまりは、いたずらは、やがて世界を救うのです(笑)。
 でも、仕掛けた相手に喜んでもらえるいたずらが成功すると、本当に嬉しい。
 失敗すれば挫折感も味わいますが、人間挫折も必要です(笑)。
 もし、あなたがお話を書きたいと思っているなら、こんな方法はどうでしょう?
 自分も、相手も、見ている人も、思わず笑顔を浮かべてしまうようないたずらを考えましょう。どういうふうに思いついたのか、そのいたずらのためにどんな準備をしたか、自分がどう考えて動いたか、どんなことが困難だったか、結果はどうだったか……そうしたことを、できるだけ細かく記録していきましょう。
 その記録がすべて書き終わったとき、そこには、1本のお話が生まれているはずです。

インタビューby 中山佳香

カテゴリ:お仕事インタビュー | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0)
| 1/1PAGES |